当麻寺と當麻蹴速日曜日に当麻寺に行ってきました。當麻寺は二上山の裾野で竹之内街道(飛鳥の都と難波を結ぶ古代の道)を奈良側に下ったところにあります。 大きなお寺です。 用明天皇の皇子(聖徳太子の弟です。)麻呂子王が立てたといわれています。 西と東に五重塔が2つもありとても立派なお寺なので驚きました。 奥の院も紅葉がきれいです。 本堂には国宝もたくさんありました。 残念なのは昨日の嵐で紅葉が少し落ちてしまっていることです。 そのうえ、天気が少し曇りがち…。 當麻寺を後にしようと思ったら虹、虹です。 薄っすらと、見えるでしょうか。 虹は神様との契約のしるし、そうだ受験合格を御願いしよう。 せっかくここまで来たので石光寺へ寄って行きましょう。 天智天皇の時代に光を放つ土地があるので掘ったところ、光り輝く弥勒三尊の石像が出てきたといわれたいるところです。 境内には蓮糸曼荼羅の糸を染めたという染の井があります。 その次は相撲館と當麻蹴速(タイマノケハヤ)塚を目指します。 當麻蹴速は相撲の始祖として知られています。 「日本書紀」によると垂仁天皇の時代に自分の強力を自慢していた當麻蹴速と出雲の野見宿禰(ノミノスクネ)とを天皇が力比べさせた。 これが日本初の天覧相撲となり、蹴速は脇骨を蹴り折られて死んでしまいました。 宿禰は蹴速の領地を賜り、命を落とした蹴速の墓が當麻に建てられました。 これがこの五輪の塔です。 伝承の上では蹴速は高慢のように言われていますが、実際は都ずれしない素朴で野性的な性格で、当時の人々から親しみをもたれていたそうです。 野見宿禰には後日談があります。 当時、天皇が亡くなり古墳に埋葬されるときにたくさんの人々が古墳の回りに生き埋めにされました。 腰まで土で埋められて段々弱っていきます。 近くの野良犬やカラスにつつかれながら死んでいったそうです。 そのときの叫び声は悲惨だったのではないでしょうか。 野見宿禰はこれを何とかしたいと考えていました。 そして出雲から百人くらい当時の先進技術者、土師(ハジ)達を呼び寄せたのです。 場所は土師ノ里(藤井寺市、近鉄線にその名前の駅があります。)です。 彼らは当時の技術を結集してたくさんの埴輪を作ります。 そして、人の代わりにその埴輪を古墳の周りに並べたのです。 たくさんの人々の命を救ったことになりますね。 また、今ではその埴輪から当時の人、家、馬、などいろいろな文化を知ることも出来ます。 私は當麻蹴速と同様、野見宿禰も大好きなのです。 今日は念願の場所に行けてとっても嬉しかったです。 『古事記』や『日本書紀』に出てくる場所に実際に自分の足で立って周りの景色などを見てみると写真などでは感じ取れないロマンを感じてしまいます。 土地の人たちもそういう伝承などをとても大切にしていることも分かります。 今日は一日感慨深いものがありました。 古代のロマンにますます惹かれていくように感じました。 |